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[緑花木]どうして東金は『植木のまち』なの?

どうして東金は『植木のまち』なの?

とっちー

東金は『植木のまち』だから、道の駅 みのりの郷 東金の緑花木市場は千葉県下最大級の植木の圃場があるんだよね?
でも、どうして『植木のまち東金』と言われているのかな~?

『植木のまち東金』と呼ばれる前の歴史をさかのぼるよ!
古くは江戸時代、徳川家康の鷹狩りのために「御成街道」が造られたんだ。それから、東金は物流の集散地としてにぎわうようになり、九十九里地域の中核都市として発展したんだよ!
東金市内には徳川家康ゆかりのものが色々あって、八鶴湖畔にある本漸寺では「徳川家康公お手植えの蜜柑 」の木が今でも大切に育てられているんだ。
当時、これをきっかけに東金に柑橘類の木がたくさん植えられるようになってきたんだ。

植木屋とっちー

とっちー

へ~!
徳川家康公お手植えの蜜柑 」食べてみたいな。
東金市の木はラカンマキ だね。
これは柑橘の木じゃないよ。なぜだろう?

千葉県の植木産業は九十九里地帯を中心に発達したんだって。
中でも東金は、幸田から北幸谷、上谷にかけての植木村がすごい景観だったんだ。
昭和45年に東金市の木に柑橘の木ではなくラカンマキ が指定されたんだけど、
それはね、
一説によると、徳川家康にゆかりのある静岡県は松の産地として有名で、鷹狩りとともに東金御殿の設営時に静岡の松の植木職人さんがやってきて、東金の職人さんたちに松の造形技術を伝えたといわれているんだよ。
その慶長時代(1596年~1615年)初期から柑橘とともに九十九里の気候と風土に合う「マキ」の生産が盛んになって、北之幸谷 市東吉松氏によって新しい造園芸術である「造り槇」(つくりまき)が開発されたんだ。
この「造り槇」(つくりまき)の造形技術が脈々と受け継がれ、発展されてきたよ。
今ではその技術を持ち、植木に関して極めて優れた樹芸技術・技能および知識を有する職人さんたちを、千葉県では『千葉県植木伝統樹芸士 』に認定して、技術を守っているんだ。

東金は江戸時代から大きな植木村があって、江戸の武家屋敷などの庭園を造ったりする職人さんが何人もいて、
その特別な技術や芸術性の高さを誇りにしてきたんだね。

植木屋とっちー

とっちー

そうなんだ!
東金の植木って、歴史があって技術もすごいんだね!
道の駅 みのりの郷 東金に緑花木市場があるのは、植木自慢のまちだから?

そうだね、確かに植木自慢だね!
1974年(昭和49年)に「他に例のない伝統と技術と産地名声を堅持」するために、東金市内の緑花木生産者たちが集まって東金市と東金山武両農協(現在のJA山武郡市 )とともに社団法人東金市緑花木センターを作ったよ。
この施設は「生産と消費の直結の場」として多くの人たちに愛され、親しまれたんだ。
それから半世紀近く経ち、東金市緑花木センターのコンセプトを継承した道の駅として生まれ変わったのが「道の駅 みのりの郷 東金」なんだよ。

植木屋とっちー

 

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